南関東地区が誇る秀逸マーカー岡村潤選手。
岡村選手と言えば、外国人キラーの異名で有名です。
有名外国人選手の連勝記録を止めるなどの活躍から、その異名で呼ばれるようになったそうですが、そのマーク技術は、外国人だけではなく日本人選手からも注目を集めています。
後続への道作り、追手へのブロックなど、その捌きの技術は職人技とも呼ばれていて、自力選手から番手に回って欲しいとお願いされるレベルだとか。
そんな岡村選手の競争スタイルやSNSまわりの情報まで詳しくまとめていきます。
岡村潤のプロフィール・経歴

プロフィール
名前 | 岡村潤(おかむらじゅん) |
ニックネーム | おかじゅん |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1981年11月12日 |
身長 | 171cm |
体重 | 72kg |
血液型 | A型 |
登録番号 | 013772 |
期別 | 86期 |
級班 | S級1班 |
師匠 | 杉浦大志 |
デビュー日 | 2001年8月4日 |
岡村選手のニックネームは「おかじゅん」。
これは苗字と名前の短縮形ですので由来は簡単にわかりますね。
好きな食べ物は、フルーツ・刺身・焼肉で、過去のインタビューで行きつけの寿司店や静岡おでんの店があると語っていました。
洋食も大好きなようで、週4回は洋食を食べているそうです。
また、カラオケも好きだということが本人から語られていて、レパートリーはMr.Childrenだそうで、最近は「ヒゲダン」もレパートリーに入れるため密かに練習に励んでいるそうです。
静岡市の繁華街両替町に外食に出かけることが多いようで、レース後にも、先輩や後輩と連れ立って食事をすることが好きだと本人が話していました。
競輪選手になるまでの経歴
中学までは、野球や陸上などをやっていたそうで、自転車競技は高校に入って本格的に始めたようです。
きっかけは、アトランタオリンピックで銅メダルを取った十文字選手(当時)の走りを見てとのことです。
高校時代には、ジュニアナショナルチームに招聘されるなど、かなりの成績をおさめていました。
競輪学校には86期生で入学。
在学成績23位。
この成績は、特に目立ったものではありませんが、競技に真面目に取り組み皆勤賞で卒業をしたようです。
デビュー後
デビューは、2001年8月4日、初勝利も同日に挙げています。
また、デビュー戦シリーズで完全優勝という形でプロ初優勝しました。
ビックレースでの優勝はないですが、常に最前線で競輪に取り組んでいる姿勢は好印象で、F1レースクラスでは、初日特選メンバーに選出されるなど実力の持ち主です。
岡村潤のレースの特徴・勝率・競走得点

追込みタイプの岡村選手。
静岡の誇る堅実マーカーです。
その番手技術には定評があり、援護手厚い選手といった印象です。
基礎情報(脚質・得意なバンク)
ホームバンク | 静岡 |
脚質 | 追 |
得意な競輪場 | – |
得意な周長 | – |
好きな車番 | 3 |
好きな車番は3とのことです。
たしかに岡村選手と言えば、赤の勝負服の印象がありますね。
競走スタイル(レース展開や特徴)
堅実マーカーの岡村選手。
印象に残るレースとしては、2020年9月開催の共同通信社杯(G2)一次予選のレースです。
岡村選手は、先行し、独走体制に入る松井選手(神奈川)の番手につき切り、ゴール前で寸差しし松井選手をかわし1着でゴールしました。
短送路の伊東競輪場での差し切りは、岡村選手の実力を示すのには良いレースとなりました。
同大会の二次予選では、S班郡司選手の番手となり準決勝進出が期待されましたが、郡司選手が不発となり、8着と敗退してしまいました。
直近4か月の過去成績・勝率・競走得点
勝率 | 2連対率 | 3連対率 | 競走得点 |
12.5% | 21.8% | 40.6% | 109.43 |
近況では、競争得点は110点前後で安定はしていますが、グレードレースでの勝ち抜きに苦戦している印象です。
岡村潤の過去成績・優勝歴

岡村選手の過去の戦績はどんな感じでしょうか?
まとめていきます。
初勝利
級別 | 開催日 | 競輪場 |
B級 | 2001年8月4日 | 青森 |
A級 | 2002年1月18日 | 和歌山 |
S級 | 2003年1月17日 | 小倉 |
特別競輪 | 2007年7月3日 | 前橋 |
デビュー戦シリーズでいきなりの完全優勝。
その半年後、A級で初勝利をあげます。
初優勝
級別 | 開催日 | 競輪場 |
B級 | 2001年8月6日 | 青森 |
A級 | 2002年4月5日 | 花月園 |
S級 | 2007年3月12日 | 静岡 |
特別競輪 | – | – |
S級初優勝が2007年。
S級初勝利が2003年ですので、優勝するまでに4年の歳月がかかりました。
優勝歴
直近では優勝はありません。
F1クラスのレースでは、初日特選メンバーとして安定的に決勝に進出しています。
決勝では、優勝こそありませんが、存在感をアピールするレースを演出しています。
節目勝数達成
勝数 | 達成日 | 開催場 |
100 | 2005年7月8日 | 花月園 |
200 | 2011年12月11日 | 伊東 |
300 | 2017年8月5日 | 西武園 |
2020年には、7つの特別競輪に出走していましたが、いずれも決勝進出を逃しています。
勝ち抜き戦での苦戦が多く、負け戦ではそれなりの結果を出しているだけに、風向きが変われば良い方向に進んでくれればいいですね。
岡村潤の年収・獲得賞金は?

年 | 年収 |
2020年 | 27,019,500円 |
2019年 | 32,934,000円 |
2018年 | 33,690,900円 |
2017年 | 35,586,400円 |
2016年 | 27,408,200円 |
毎年安定して賞金ランク上位につけています。
ファンとしては、さらなる飛躍を期待してしまいます。
岡村潤はSNSはやってる?

岡村選手のSNSまわりを見ていきましょう。
岡村潤のTwitter(ツイッター)は?
岡村選手のTwitterアカウントはありませんでした。
同姓同名のアカウントが非常に多く、捜索は難航しましたが、いずれも本人のアカウントではないようです。
岡村潤のInstagram(インスタグラム)は?
岡村選手のInstagramアカウントもありませんでした。
岡村潤のYouTube(ユーチューブ)は?
岡村選手のYouTubeチャンネルもないみたいですね。
食べ歩きの情報は、インタビューを細かく拾っていくしかないのかもしれません。
岡村潤のプロフィール|まとめ

静岡のマーク職人岡村選手についてまとめてきました。
岡村選手は、S級1班の最前線で、常にレースに参加しているのにも関わらず、人懐っこい笑顔が印象的な優しそうな雰囲気漂う選手でした。
近況では優勝からは遠ざかっていますが、グレードレースなどでも存在感がありますよね。
岡村選手は、2018年頃のインタビューで
と語っていました。
現状、脚力に衰え的なものは一切感じさせない力強い走りを見せてくれている岡村選手からこの発言が出たのは意外でした。
おそらく”気持ちの面で”ということなのだと思いますが、まだまだ頑張ってほしいですよね。
2017年、寛仁親王牌(G1)決勝に進んだ岡村選手。
その熱気や雰囲気などから良いものを吸収したようで、「もう一度あの舞台に立ちたい!」とも語っていました。
そんな岡村選手の今後の活躍にも期待していきましょう!